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​ ネガ探している間には、いろいろな発見もありました。

捜索開始当初、モハメド・アリが亡くなったというニュースが流ると、渡辺氏はそのアリに会ったことがあるというのです。

 

 1962年当時、日本光学工業株式会社(現、株式会社ニコン)に勤めていた渡辺氏は、ニューヨークに赴任します。間もなく、シカゴで世界ヘビー級チャンピオンのフロイド・パターソンとチャールズ・ソニー・リストンとのタイトルマッチが行われることになり、渡辺氏は特設リングの真上に5台のカメラを設置するという仕事の指揮を取ったのです。試合は、あっという間で、挑戦者のリストンがチャンピオンのパターソンを1ラウンドでリングに沈めました。

 2年後の1964年、そのリストンはモハメド・アリに王座を奪われたのです。そして、アリは、アントニオ・猪木との「格闘技世界一決定戦」の為に、1976年に来日します。 

 

 この時、渡辺氏の周辺から、「アリを会社に招待して、ニコンのカメラをプレセントしよう!」という話が持ち上がりました。「3億円のファイトマネーのアリが、来るとは思えない」という異論もあったのですが、それに反してアリ側があっさり快諾。アリがニコンのファンだった、との話もありますが、当時のアメリカでニコンがどれだけの評価を受けていたのかを伺い知れる出来事です。そして、ニコンのカメラ組立て工場へアリを招待することが決まると、社員たちはパニック状態になったそうです。

※今後のスケジュール

2018 Spring

  • 写真集刊行

  • サイン入り写真集を支援者の方々へ送付

  • 写真集を海外のアート、歴史関係者へ送付

2018〜 

  • 作品プリント、データ、写真集を用いたトークショー、セミナーなどの開催

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   Committee of Sumiharu Watanabe Project